群馬県邑楽郡大泉町の《天徳山 宝寿院》は歴史ある境内のたたずまいがとても魅力的な寺院です。

 

由緒・縁起

 

宝寿院の由緒・縁起

宝寿院の由緒・縁起
 
 当院は、南北朝時代の南朝の忠臣楠木正成公(大楠公)嫡子楠木正行公(小楠公)の加富貴御前の開基と伝えられる。加富貴御前は16名の家臣(小泉十六氏)とともに上野国小泉に逃れ来て、そこに一族供養のための法志庵という草庵を結んだ(現大泉町立北小学校敷地内南西部)
 加富貴御前は、南北朝統一10年後の応永9(1402)に亡くなったとされているが、御前の死後、突如白蛇が現れたことから、小泉十六氏一族は御前を神格化し、御前と楠木正成・正行父子を祭神とする尉兼明神祀った。 
 
 後の天正年間に、小泉城主富岡氏の菩提寺である曹洞宗龍泉院の三世窈山正精和尚が、法志庵を龍泉院の末寺とし、名を宝珠庵と改め開山した。その後、三世悦山正欣和尚が、元禄14(1701)年に、当地寄木戸村にあった法寺を宝珠庵が吸収合併して移転し、曹洞宗に改宗して中興開山となった。その際に、山号を本尊聖観世音菩薩にちなみ白華山(観音浄土補陀洛山の別称)と定めるとともに、寺号を宝寿院と改めた。現在の当院山号は天徳山と称するが、改称した時期や理由については不明である。
 なお、中興開山時に浄財や寺領の寄進した開基は野村孫兵衛である。孫兵衛は藤原秀鄕の末裔で、小山氏・結城氏と同族の初代小泉城主富岡直光の孫、野村勘解由允藤原勝久の子孫(六代孫)である。
 
 江戸時代には、寄木戸村領主旗本山本氏の知行地菩提所となったが、初代領主山本七郎左衛門正信は、幕臣でありながら、徳川綱吉が館林藩大名時代の用人衆を兼ね、家禄高1300石の有力家臣であった。
 当院十世天嶺厳長和尚代の明和5(1768)年に、五代目領主で幕府御小姓組番士の山本七兵衛門正府から、歴代領主の御斎米料(供養料)として、寺領の田5筆、高二石五斗余の年貢免租の寄進を受けている。
 
 江戸時代後期には、当院十二世 祥山林瑞和尚や、桂某(当院二十四世  庭庵祖園和尚)を師とする寺子屋が開かれていた記録が残っている。
 また、明治時代になり学制が発布されると、明治12(1879)年12月、本堂を仮校舎として、現大泉町立南小学校の前身である知新学校の一番分校として師道館(師道学校)が置かれ、大正12年6月26日、大川尋常小学校校舎完成までの44年間、寄木戸村・古氷村・古戸村(明治22年まで)の地域児童の教育の場として大きな役割を果たした。
 

千早城の戦い合戦図屏風   宝寿院蔵

千早城の戦い合戦図屏風   宝寿院蔵
 

【左】妻帯を固辞する楠木正行と弁内侍    【右】辞世の歌の拓本と扇面画 

【左】妻帯を固辞する楠木正行と弁内侍    【右】辞世の歌の拓本と扇面画 
 
後村上天皇は、楠木正行の出陣を何とか思いとどまらせようと、南朝方屈指の美女、日野俊基卿の娘弁内侍を妻にするよう薦めたが、既に死を覚悟していた正行は、とても世に ながらうべきもあらぬ身の かりの契りをいかで結ばむと歌で返答して固辞し、四條畷の戦いで激戦の末に果てた。悲嘆にくれた弁内侍は髪をおろして尼となり、終生正行の菩提を弔ったと言う。当院にゆかりの加富貴御前とよく似た哀話である。
 
 【絵:土佐光起筆 絹本掛軸】
 
正平3年(1348)、最後の戦いと覚悟した楠木正行は、後村上天皇に拝謁の後、正行・正時・和田新発意・舎弟新兵衛・同紀六左衛門子息二人・野田四郎子息二人・楠木将監・西河子息・関地良円以下、今度の軍に一足も不引、一所にて討死せんと約束したりける兵百四十三人、先皇の御廟に参て、今度の軍難義ならば討死仕るべき暇を申し、如意輪堂の壁板に各名字を過去帳に書き連ね其奥にかえらじと かねておもえば梓弓 なき数にいる 名をぞとどむる
辞世の歌を書き刻んだと言う。
 
写真上:辞世の歌(梓弓の歌)拓本
写真下:正行が辞世の歌を書き刻ん
    でいる場面の扇面画
 

楠木正行像(本朝武将伝/百人武将伝)  宝寿院蔵

楠木正行像(本朝武将伝/百人武将伝)  宝寿院蔵
 

下記より詳細資料ををダウンロードしてご覧頂けます。

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小泉十六氏について ( 2011-10-31 ・ 178KB )
 
宝珠庵跡地記載の古地図 ( 2011-09-22 ・ 821KB )
 
 

沿革史

沿革史
 
年 代
できごと
1294 永仁2年8月
1348 正平3年1月5日
 
    年代不詳
 
    年代不詳
1402 応永9年2月28日
    年代不詳
 
        天正年間
 
1569 永禄12年8月
1593 文禄2年4月13日
1633 寛永10年
1684 貞享元年4月7日
1701 元禄14年春
    
          同年9月
 
 
 
    同年11月
1703 元禄16年3月
 
1708 宝永5年7月14日
1709 宝永6年7月8日
1713 正徳3年4年2日
1713 正徳3年4年2日
1734 享保19年11月
 
 
 
 
1736 元文元年5月13日
1740 元文5年2月4日
1742 寛保2年6月18日
1753 宝暦3年4月20日
1756 宝暦6年5月20日
1767 明和4年5月15日
1767 明和4年11月24日
1768 明和5年5月
 
 
1786 天明6年11月5日
1794 寛政6年5月25日
1803 享和3年10月10日
1807 文化4年5月28日
1811 文化8年3月23日
 
 
1833 天保4年12月15日
1834 天保5年10月2日
1843 天保14年
1866 慶応2年12月2日
1871 明治4年5月5日
1878 明治11年12月13日
1879 明治12年12月
1885 明治18年11月27日
1889 明治22年11月2日
1897 明治30年10月27日
1898 明治31年
1902 明治35年12月3日
1911 明治44年5月10日
1917 大正6年1月
1923 大正12年6月26日
 
1934 昭和9年
1945 昭和20年11月5日
1948 昭和23年
1968 昭和44年
1970 昭和46年
1974 昭和49年2月
1979 昭和54年6月
    同年11月30日
1987 昭和62年11月15日
1992 平成4年7月31日



1999 平成11年9月12日
2003 平成15年12月13日
2004 平成16年5月12日
2004 平成16年7月
    同年8月1日
2005 平成17年
2006 平成18年8月
2009 平成21年2月
    同年8月
2010 平成22年7月31日
2011 平成23年3月11日
     同年8月12日
    同年8月24日
2013 平成25年3月24日
    同年9月20日
     同年12月21日
2016  平成28年
2018 平成30年4月
 
2019 令和元年5月
2021 令和3年5月13日
2023 令和5年4月11日
2023 令和5年5月27日
2023 令和5年8月11日
 
・町指定文化財「阿弥陀三尊板碑」が建立される
 *楠木正行が河内四条畷の戦いで討死
  戒名「文光寺雲山升龍仏海」 享年23才
*楠木正行の正室加富貴御前が関口門之丞を先鋒とする16人の家臣(小泉十六氏)と共に小泉に逃れ来る
・加富貴御前が一族供養のため「法志庵」を建てる
・加富貴御前没 享年66才
・尉兼明神を建立し楠木父子と加富貴御前の霊を祀る
 ※楠木正成・正行の官途は左衛門尉兼河内守摂津守
 ・曹洞宗小泉龍泉院三世窈山正精大和尚が法志庵を末寺として開山 寺名を宝珠庵と改める
・町指定文化財「石造地蔵菩薩」が建立される
・開山 窈山正精大和尚遷化
・幕府公文書に上野国上小泉郷「寶地庵」と記録あり
・法心圓説和尚遷化
・三世悦山正欣和尚が上野・信濃・越後・佐渡4ヶ国の僧録所雙林寺の許可を得て、寺名を宝珠庵から「寶壽院」と改める。
・悦山正欣和尚が、寄木戸村近隣7カ寺及び檀家67軒の同意を得て、寄木戸村法幢寺(宗派不明)へ交代入院(晋山)、この時、本尊聖観世音菩薩の因縁を以て寶壽院の山号を白華山と定める
・悦山正欣和尚が寄木戸村法幢寺を曹洞宗に改宗
・悦山正欣和尚が寶壽院を小泉から寄木戸法幢寺に移転(合併)、これより白華山寶壽院法幢寺となる。悦山正欣和尚は、この功により寶壽院中興開基となるもその後転住
・端室玄的和尚遷化
・当院開基野村孫兵衛没   戒名:端入道的居士
・二世 碧天正印大和尚遷化
・高外宜山和尚遷化
・当院開基野村孫兵衛の妻没 戒名:利亨壽貞大姉
  この時寄木戸村の 下田 四畝廿三歩 かべや坪
           下下田 壱畝拾九歩 同所
    〆六畝拾貳歩 米壱俵壱斗八夕 の寄進有り
   施主 野村孫兵衛  同孫右衛門
・三世 悦山正欣大和尚遷化
・七世 祥山忍貞大和尚遷化
・四世 祖梁傳意大和尚遷化
・六世 竺峯密仙大和尚遷化
・九世  活翁賢龍大和尚遷化
・五世  石壑禅梁大和尚遷化
・八世  賢應泰良大和尚遷化
・寄木戸村地頭 旗本山本七兵衛門正府から、代々の御齋米料(供養料)として、寺有地5筆 高二石四斗六升四合壱夕の年貢免租の寄進を受ける。
・十世  天嶺厳長大和尚遷化
・十三世  恭洲遊仙大和尚遷化
・十四世  大梁靈林大和尚遷化
・十五世  佛海達印大和尚遷化
・十二世  祥山林瑞大和尚遷化 
※於新田郡飯田霊雲寺遷化
  ※当院墓石に「施主 筆子中 ゑんじゃ」と有り
・十七世  良戒門廣大和尚遷化
・十六世  直峯一指大和尚遷化
・十九世  耕靈石耘大和尚遷化
・廿一世  祖道本宗大和尚遷化
・廿二世  仙崖靈椿大和尚遷化 ※於足利長徳院遷化
・廿六世  賢翁天外大和尚遷化 ※中尾天外
・知新学校一番分校師道館(師道学校)が置かれる。
・廿七世  即幻哲聞大和尚遷化 ※吉羽哲聞
・廿三世  培本靈苗大和尚遷化 ※於足利永明寺遷化
・廿四世  庭庵祖園大和尚遷化 ※古戸泉福寺廿一世
・山王に庚申堂が建立される
・廿八世  蓮能智聞大和尚遷化 ※酒井智聞
・廿五世  天海玄龍大和尚遷化 ※於行田常光寺遷化
・本堂茅葺き屋根葺き替え(廿九世 太堂代)
・大川尋常小学校開校に伴い師道学校閉校
   ※分校開設期間44年
・庫裡新築(昭和8年12月9日上棟の棟板)
・廿九世  禅巖太堂大和尚遷化 62歳 ※田邉太堂
・農地改革により寺領1町余を失う
・本堂・山門を解体
・本堂新築・落慶
・本尊を聖観世音菩薩から釈迦如来に替える
・庫裡新築
・阿弥陀三尊板碑・石造地蔵菩薩が町指定重要文化財となる
・山門再建・落慶
・開山窈山正精大和尚400回忌法要奉修
  東門に門標建立・正面入口に宝寿院縁起碑建立
山門内参道石畳舗装・水屋落慶法要奉修
寺紋を菊水紋とする
・檀信徒会館落慶
・三十世 長巖逸雄大和尚遷化 89歳 ※田邉逸雄
・寺族鶴雲静心禅尼示寂 83歳 ※田邉シヅ(信雄母) 
・当院歴代住職廟所完成
・道巖信雄和尚住職拝命 当院31世 ※田邉信雄
・山門前参道石畳舗装
・本尊釈迦如来像修復
・庚申堂改修
・本堂改修
・宝寿院別院懐古庵落慶披露
・東日本大震災で檀信徒会館・庫裡の屋根瓦・内壁の被害大
・当院開基野村家累代廟所完成
・懐古庵屋根葺き替え工事完了
・加富貴御前を祀る尉兼明神神輿完成、懐古庵で披露
・懐古庵に不動堂建立、落慶法要奉修
・境内に毘沙門堂建立、落慶法要奉修
・境内地拡張、墓地北側の水田を埋立て築山・駐車場を造成
庚申堂境内整備・駐車場造成
   ※本尊造立300年・拝殿建立120周年記念
・庚申堂に休屋建設
・道巖信雄和尚 大泉町議会第32代議長に就任
・寺族信香明絢禅尼示寂 34歳 ※田邉絢子(信雄二女) 
宝寿院歴代寺族の墓完成
・裏山に明絢観音堂建立
 
 

天徳山 宝寿院
〒370-0535
群馬県邑楽郡大泉町大字寄木戸
1114
TEL.0276-62-5739
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曹洞宗 寺院
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071579
<<天徳山 宝寿院>> 〒370-0535 群馬県邑楽郡大泉町大字寄木戸1114 TEL:0276-62-5739 FAX:0276-62-5739