僧侶が読経の際に、お経に続けて唱える文言を回向(えこう)、あるいは回向文(えこうもん)と言います。葬儀や法事の際に、僧侶に供養の読経をしていただき、お布施をする行為は、施主様が徳を積む行為、即ち功徳(くどく)になります。これはお釈迦様の教えです。この功徳を故人や先祖に送り届けることを回向と言い、その際の僧侶へのお布施を便宜上回向料と言います。また、葬儀や法事の際の読経に回向は付きものですから、読経料という言い方もあります。
ところで、そもそもあの世にいるという故人や先祖に対して、この世の遺族や子孫が、自分の功徳を回向するなどということが、本当にできるのかという疑問を持つ方が多いと思います。もっともなことですが、結論から先に言えば、できます。
それはこういうことです。故人や先祖が、せっかく生前に播いた良い行いの種(善因)があったとしても、それが芽を吹いて花を咲かせ実を結ぶこと(善果)がなければ無意味ですし、故人や先祖にとって、それはきっと無念なことでしょう。しかし、遺族や子孫が、故人や先祖が播いた種を芽吹かせ、実を結ばせたなら、結果的にそれは故人や先祖の功徳となります。良い結果の原因をつくったのが故人や先祖だからです。何事も原因がなければ結果もありません。
葬儀や法事の際に、施主様の、故人や先祖の恩(善因)に感謝したいという思い、報恩感謝の念から、僧侶に読経をしていただきお布施をすると、そこに功徳(善果)が生じます。そして、僧侶は「施主様のこの度の功徳は、あなたに向けたものであり、本来あなたが種を播いた功徳です」と唱えたり、念じたりして故人や先祖に伝えます。すると、故人や先祖は喜んでこの功徳を受け取ります。これが回向というものです。故人や先祖は、生前に全うし終えなかった功徳や、充分積むことができなかった功徳を、回向によって、あの世で完遂したり加増することができるのです。
ところで、一口にあの世とか浄土とか言いますが、積んだ功徳の大きさにより、あの世での位置(ステージ)が大きく異なります。生前に大きな功徳を積んだ人は、より高次元の、明るく心安らかな平安な世界に上ることができます。
ですから、回向とは、今は無き故人や先祖に対する、何よりのプレゼントです。しかも、このプレゼントを贈る浄らかな行為もまた功徳になります。つまり、自らの功徳を故人や先祖に回向しても、決して減ることはありません。むしろ功徳が増します。功徳を積み重ねることを積功累徳(しゃっくるいとく)と言います。あなたも、この世にあるうちに、功徳という名のポイントをいっぱい貯めてください。それもまた故人や先祖の供養(行供養)になるのですから。